2018/10

足の裏的な人〜思いがけず…の出会い


思いがけず

素敵な詩に

出会うことがあります。

最近、たまたま手にした

本の中にあった詩です。

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世の中には

本当に深くて素晴らしい詩を

書かれる方がいます。

きっと

その詩を生み出すまでに

色々大変な御苦労をされているのでしょう。

だからこそ、

多くの方が胸を打たれるような作品が作れるのだと思います。

言葉は

まるで生き物のようです

坂村真民さんの詩からは

分け隔てなく

存在に対する
深い深い
リスペクトと
愛をかんじます♡


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【足の裏にきく】

ある朝
足の裏にきいてみました
足裏よ。

お前は悲しくないかい。

いつもきたない所ばかりを
ふんでいて、

腹の立つことはないのかいと。

すると足の裏が
微笑して答えました。

腹の立つなんて、
とんでもないことです。

そんなことを一度も
思ったことはありません。

考えてごらんさなさい。
体のなかで
私は一番幸せものですよ。

なぜなら
何万年、何億年と
つづいてきている地球と
いつもじかに
接しているのです。


ありがたいものだと
いつも感謝こそすれ、

不幸に思ったことは
一度もありません。


【尊いのは足の裏である】
 

尊いのは 
頭でなく 手でなく 
足の裏である

一生 人に知られず  
一生 きたない処と接し

黙々として 
その努めを果たしてゆく 
足の裏が教えるもの


しんみんよ

足の裏的な仕事をし 
足の裏的な人間になれ

頭から 光が出る 
まだまだだめ  
額から 光が出る 
まだまだいかん


足の裏から 光が出る 
そのような方こそ  
本当に偉い人である


坂村真民(さかむら しんみん:日本の詩人)

一遍上人を敬愛し、
毎日午前零時に起床して
近所の重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのを日課としていた。愛媛県砥部町の自宅を「たんぽぽ堂」と名付け、晩年まで創作活動を継続。

ありがとうございます😊

北海道秋〜外から眺めてみる①


北海道に

秋がやってきました

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久しぶりに
友人と過ごしたあたたかい
時間

外から眺めてみると
あらためて、
ふと
いろいろなことに
気づかされる

たとえば
仕事に没頭するとき

もありますが

それでもあえて
意図的に
外に出る時間を作っています


その理由は
考え方が固執してしまい

業界の
”当たり前”や”ルール”
に縛られ
顧客側の考えや気持ちが
分からなくなって
しまうからです。

自分を外から眺めてみる

自然を外から眺めてみる

地球を外から眺めてみる

宇宙を外から眺めてみる


人の立ち位置が

見える世界のカタチを

変えることがあります。

世界が変わって見えると

世界に対する認識が変わり

自分と世界とのつながりが

よりくっきりと見えてくる

ことがあるのです。

かつて、

宇宙からこの地球を

眺めた人たちがいました。

かれらがどんな気持ちで

この星を見つめ、何を感じたのか…

今日は

宇宙の大きさを体感できる
動画の紹介です。


こちらから

逆バージョン

美の国 日本 〜 北海道樽前山


美の国 日本
北海道〜樽前山 編

歩いて、眺め、出会い、感じた
自然の姿

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長い時間を紡いできた山々
奥深さ

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自然の時間

宇宙の時間


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身を置くことで

生きていることの

喜びを感じる


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自然が作り出した空間に
感謝を込めて♡

ありがとう

空 ありがとう
今日も私の上にいてくれて
曇っていても分かるよ
宇宙へと青く
ひろがっているのが

花 ありがとう
今日も咲いていてくれて
明日は
散ってしまうかもしれない
でも匂いも色ももう私の一部

お母さん ありがとう
私を生んでくれて
口に出すのは照れくさいから
一度っきりしか言わないけれど

でも誰だろう 何だろう
私に私をくれたのは?

限りない世界に向かって
私は呟く
私 ありがとう

谷川俊太郎さんの詩

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樽前山
苫小牧市の北西部に位置する
活火山で、標高は1041m。

古より霊峰として信仰され、
明治初年に樽前山周辺の開拓にともない、樽前山山麓に山の神・大山津見神を祀ったことがこの神社の由来となっています。その後本宮が建立されていた樽前村から、明治8年(1875年)苫小牧の町の中心部に遷座、千歳・白老(しらおい)・勇払(ゆうふつ)三郡の総鎮守となりました。その後平成4年に現在の地に移遷鎮座となっています。



たったひとつの宇宙〜ココロ物語④バスケの神さま(前編)


バスケの神さま 


小学校4年のときに

出会ったバスケットボール


のちの人生を

変えてしまうくらいの

キッカケになるとは…

当時10歳の私には

当然知るよしもなく… 笑


   5003



はじめたキッカケは

二つあった


ひとつは

当時、

母が一念発起してお店を立ち上げ、

とても忙しく、なかなか一緒に

いることができない寂しさから

はじめたこと


もう一つは

クラスの担任の先生が

(私にとっては、初の恩師だ)

いわゆる熱血先生で(^ ^)


子供たちにいつも寄り添ってくれていて大好きだったこと。


小学生ながらにも

オトナたちのウソに

嫌気がさしていた私は

伊藤先生には信頼を寄せていた。

その先生が、

ミニバスの監督だったこと。


小さな頃の夢は、

なぜか?

イルカと友達になって

一緒に泳ぐことだった。



子供心にかなり本気で

そのために水泳教室に

通わせてほしいと

おばあちゃんまで味方につけ

親に懇願し、プールで

いつも練習していたこと。

水の中で泳ぐのが大好きだった。


今思うと、うちの親は

やってみたい!

ということに一切

反対したことがない人だった。

決して裕福な家庭ではく

どちらかというと

大変だったと思う。


それを観て知っていた

担任の伊藤先生は


水泳も楽しいけど、

ミニバスも楽しいぞ!

やってみるか?



10歳の時に

声をかけて頂いた。


晴れて10歳で入部した✨


楽しいイメージだけを

持って入部し、

わかったことは


楽しいを超えて(^_^;)

練習が本当に

ハードでハードで辛かった!!こと


当時通っていた小学校のバスケ部は

全国大会を目指すような

ミニバスの強豪チームだったのだ!!


泳ぐことしか

興味がなかった私は

まったく知らずに

入部したのだ。


学校が終わると

そのまま体育館に直行し

練習、練習、また練習の

日々が続く


当然

友達と遊ぶ時間も無ければ

宿題をする暇も気力もない

くらいの日々


バスケは試合に出れるのが

1チーム5人なので、

みんな

スターティングメンバーに

入りたい思いは同じだ。


だから、

試合に出ようと思ったら

人一倍練習しないと

いけなかった。誰よりも。

お正月くらいしか

休みがなかった。


試合に出れたとしても

ベンチにいるメンバーの

色々な思いを感じながら、

試合に出るから、

これが一番辛かったな。


特に先輩を差し置いて

メンバーに選ばれた場合は

なおさらだ。


精神的にもそうだったが

体力的にも瞬発力と、

とにかく走るスポーツなので

練習はとてもとてもハードで、

吐いたりしながら

やったこともあった。

体育館にはいつも酸素ボンベがあった 笑


何度やめたい!

と思ったかわからない。


ただ、不思議と

ミニバスケット🏀に

魅了されていく

自分もいました。


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小学生でも先輩は先輩だ。

ペイペイの私たちは

ボールを磨くこと

コートをモップで

ピカピカに整えること

そんなことから始まりました。


そんな時間を共に過ごす内に

かけがえのない友達も

できていきました。


コツコツコツコツ

練習を重ねていくうちに、

5年生の時にはじめて

公式試合に出場することが

きまります。


スターティングメンバーを

発表する時の緊張感


名前を呼ばれた時の

なんとも言えない気持ち


新しい緑色のユニフォームを

渡された時の嬉しさと重圧感


今でもはっきり覚えています


この時(5年生)から

高校を卒業するまでの

約10年間、背番号7を頂き

バスケット一色の

生活を過ごすになります…


当時は、

バスケに神さまが宿る

ことなど知るよしもなく…


つづく

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