素敵な詩に
出会うことがあります。
最近、たまたま手にした
本の中にあった詩です。
世の中には
本当に深くて素晴らしい詩を
書かれる方がいます。
きっと
その詩を生み出すまでに
色々大変な御苦労をされているのでしょう。
だからこそ、
多くの方が胸を打たれるような作品が作れるのだと思います。
言葉は
まるで生き物のようです
素敵な詩に
出会うことがあります。
最近、たまたま手にした
本の中にあった詩です。
世の中には
本当に深くて素晴らしい詩を
書かれる方がいます。
きっと
その詩を生み出すまでに
色々大変な御苦労をされているのでしょう。
だからこそ、
多くの方が胸を打たれるような作品が作れるのだと思います。
言葉は
まるで生き物のようです
人の立ち位置が
見える世界のカタチを
変えることがあります。
世界が変わって見えると
世界に対する認識が変わり
自分と世界とのつながりが
よりくっきりと見えてくる
ことがあるのです。
かつて、
宇宙からこの地球を
眺めた人たちがいました。
かれらがどんな気持ちで
この星を見つめ、何を感じたのか…
今日は
バスケの神さま
小学校4年のときに
出会ったバスケットボール
のちの人生を
変えてしまうくらいの
キッカケになるとは…
当時10歳の私には
当然知るよしもなく… 笑
はじめたキッカケは
二つあった
ひとつは
当時、
母が一念発起してお店を立ち上げ、
とても忙しく、なかなか一緒に
いることができない寂しさから
はじめたこと
もう一つは
クラスの担任の先生が
(私にとっては、初の恩師だ)
いわゆる熱血先生で(^ ^)
子供たちにいつも寄り添ってくれていて大好きだったこと。
小学生ながらにも
オトナたちのウソに
嫌気がさしていた私は
伊藤先生には信頼を寄せていた。
その先生が、
ミニバスの監督だったこと。
小さな頃の夢は、
なぜか?
イルカと友達になって
一緒に泳ぐことだった。
子供心にかなり本気で
そのために水泳教室に
通わせてほしいと
おばあちゃんまで味方につけ
親に懇願し、プールで
いつも練習していたこと。
水の中で泳ぐのが大好きだった。
今思うと、うちの親は
やってみたい!
ということに一切
反対したことがない人だった。
決して裕福な家庭ではく
どちらかというと
大変だったと思う。
それを観て知っていた
担任の伊藤先生は
水泳も楽しいけど、
ミニバスも楽しいぞ!
やってみるか?
と
10歳の時に
声をかけて頂いた。
晴れて10歳で入部した✨
楽しいイメージだけを
持って入部し、
わかったことは
楽しいを超えて(^_^;)
練習が本当に
ハードでハードで辛かった!!こと
当時通っていた小学校のバスケ部は
全国大会を目指すような
ミニバスの強豪チームだったのだ!!
泳ぐことしか
興味がなかった私は
まったく知らずに
入部したのだ。
学校が終わると
そのまま体育館に直行し
練習、練習、また練習の
日々が続く
当然
友達と遊ぶ時間も無ければ
宿題をする暇も気力もない
くらいの日々
バスケは試合に出れるのが
1チーム5人なので、
みんな
スターティングメンバーに
入りたい思いは同じだ。
だから、
試合に出ようと思ったら
人一倍練習しないと
いけなかった。誰よりも。
お正月くらいしか
休みがなかった。
試合に出れたとしても
ベンチにいるメンバーの
色々な思いを感じながら、
試合に出るから、
これが一番辛かったな。
特に先輩を差し置いて
メンバーに選ばれた場合は
なおさらだ。
精神的にもそうだったが
体力的にも瞬発力と、
とにかく走るスポーツなので
練習はとてもとてもハードで、
吐いたりしながら
やったこともあった。
体育館にはいつも酸素ボンベがあった 笑
何度やめたい!
と思ったかわからない。
ただ、不思議と
ミニバスケット🏀に
魅了されていく
自分もいました。
小学生でも先輩は先輩だ。
ペイペイの私たちは
ボールを磨くこと
コートをモップで
ピカピカに整えること
そんなことから始まりました。
そんな時間を共に過ごす内に
かけがえのない友達も
できていきました。
コツコツコツコツ
練習を重ねていくうちに、
5年生の時にはじめて
公式試合に出場することが
きまります。
スターティングメンバーを
発表する時の緊張感
名前を呼ばれた時の
なんとも言えない気持ち
新しい緑色のユニフォームを
渡された時の嬉しさと重圧感
今でもはっきり覚えています
この時(5年生)から
高校を卒業するまでの
約10年間、背番号7を頂き
バスケット一色の
生活を過ごすになります…
当時は、
バスケに神さまが宿る
ことなど知るよしもなく…
つづく